本人からの連絡によると、最後のレポートを出してから来るらしい。文系のオレは早々に試験を終え、試験期間のため活動停止になっていた部活の再開日に余裕で間に合ったのだが、阿部を含め理系はまだ試験が残っている奴らもいるらしかった。

いつもならさっさと着替えてグラウンドへ向かうのだが、今日は少しゆっくり支度をして阿部が来るのを待つ。一週間程前、田島の証言で西浦高校野球部のトークが大荒れした件について、隠していたわけではないだろうが本人の意図しないところで晒されて阿部自身がどう思っているか気になっていた。


「うーす」


部室の扉が開き、理系の奴らが「終わったー」と試験からの解放感を露わにぞろぞろと入ってきた。オレの隣にバッグを置いて軽く肩を回す阿部も同様らしい。単刀直入に言うのは少し気が引けたので、含みを持たせて遠回しに尋ねてみる。


「お前、試験集中できたか?」
「は?どういう意味」
「田島の奴」
「ああ・・・」


あからさまにうんざりとした顔をするので思わず苦笑いしてしまう。よりにもよって田島に見つかってしまったのは気の毒だが。



「オレ、彼女できた」


確か阿部から唐突に報告を受けたのが三ヶ月前。GWが過ぎた頃で、まさに今のように部室で着替えていたときだった。


「同じ大学だし、顔合わせることもあるかもしれねーから花井には言っとくわ」
「・・・おう。おめでとう、でいいのか?」


まるで業務連絡かのように淡々と告げる阿部にそう返すしかできなかった。オレでもこの有様だったのだから田島の驚きと興奮っぷりは倍以上だろう。その結果がグループトークでの一報だ。


「通知うるせーから切ったぜ。ちょうど次の日の試験勉強してたし」
「お前、そうだけどしか返信してなかったもんな」
「いちいち相手してたらキリねーだろ。言う機会がなかっただけで隠してたとか好き勝手騒ぎやがって・・・。特に田島と水谷」
「つーか試験期間中にデートか?」
「ただの息抜きだよ。まあ田島に見つかるとは思ってもなかったけど」
「ふーん・・・。でも、うまくやってんだな」
「まーな」


野球漬けだった高校三年間はもちろんだが、大学三年になっても阿部は女っ気なかったし、そもそもあまりそういう類に興味がないと思っていたから彼女持ちの阿部は未知数でしかない。
田島の「今日阿部が女と歩いてんの見た!二人で!もしかして阿部の彼女か!?」というメッセージに阿部が短く肯定を返してからの荒れ具合はすごかった。他の西浦の奴らもオレと同じで阿部に彼女ができるなんて思ってもいなかったんだろう。「なんて告白したんだ!?」「好きって言ったの!?阿部が!?」と田島と水谷の無遠慮な質問は、正直オレもかなり気になるところではあった。

そもそもこのスーパーマイペース男と付き合う彼女とは一体どんな子なのか。阿部のことだから根掘り葉掘り聞かれるのは鬱陶しがると思いあまり触れてこなかったせいなのだが、阿部の口から彼女の存在が語られることがとても新鮮で意外だった。阿部が言ったように同じ大学だからという理由が大半だろうが、田島に見つかるまでオレしか彼女の存在を知らなかったのだから少なくとも田島や水谷よりは信頼されているとは思う。そんな自惚れに乗じてこの際色々聞いてやろうと口を開く。


「オレ結局まだ一度も見たことねーんだけど、どんな子?」
「別にフツーだよ」
「告白したのは?」
「オレ」
「きっかけはなんだったんだよ」
「何って・・・」




「なんだっけか」
「何が?」


試験が終わったら観に行きたいとずっとせがまれていた映画の帰りに寄った喫茶店で、トイレから戻ってくるなり尋ねられた。
が席を外して一人になった途端、ふと先日の花井との会話が頭を過ぎったのだが口に出していたらしく、拾われてしまった。適当にはぐらかそうとも思ったが、コーヒーを啜りながらじっと見つめられては下手なことを言うより正直に話した方が楽だと考え、事のあらましをざっくりと説明すると「ふうん」と興味があるのかないのか判別しにくい返答をした。


「きっかけというか、最初はゼミだよね。歓迎会のとき」
「お前がオレが野球部だって知るなり試合観に行きたいって言ってきたやつな」
「だって他に野球詳しい知り合いいなかったし。行くなら色々教えてもらいたいし」
「で、その次がバッセンだったか」
「観たらやりたくなるじゃん?隆也だってなんだかんだ付き合ってくれたし」
「まあ・・・一回行きゃ満足だろって思ってたし。全然だったけど」


観に行ってみたい、やってみたいと純粋に目の前で言われて誘われてるのかどうか正直よく分からなかったが、多少酒が回っていたせいかもしれない。どういう反応が適切なのか考えるのが面倒になって「じゃあ行くか?」と言ってしまっていた。
女と二人で出掛けるのは初めてだったしこれはいわゆるデートなのだろうか、という疑問が頭をよぎったが、は単純に自分の興味に付き合ってくれる人が欲しかっただけのようだし深く考えるのはやめた。
しかし、そんなことが2、3度続けば自ずと大学生活にも影響が出るらしい。
「最近仲よさそうに見えるけど付き合ってんの?」と他人からそう尋ねられたときは「ただの女友達だよ」と否定しつつもオレの中でこいつとの関係をどう築いていけばいいのかよくわからないでいたのは事実だった。オレ自身がの中でどう位置づけられているのかも分からないが嫌われてはいないだろうし、他人からそう見えるんだったらいっそ付き合ってしまえばいいと思った。
いつもあれがしたいこれがしたいと言うことに対して振り回されていた感覚が強かったが、好き嫌いがはっきりしている分一緒にいて楽ではあった。それに、隣で試合の解説をしてやったりだとか、素人ではあるがそこそこセンスのあるバッティングにアドバイスをしてやったりするのは俺も内心楽しんでいたのも事実だ。


「付き合わねえ?」


だから告白したとき緊張だとかそういうものは一切なかったし、少しだけ間を置いて「うん」と返したもそうなることを予想していたように思う。
付き合って変わったことというと名前呼びになったことと、野球関連以外にこうして二人で出掛けるようになったことくらいで特別何かが変わったわけではないが、それでもやっぱり一緒にいて楽だとは思う。まあ、だから、きっかけはそういうことだ。今更田島や水谷の質問に答えてやる気は全くないが、次回顔を合わせたときが非常に面倒ではある。


「―で、隆也から告白されて・・・ってどうしたの」


大体思い出すことは思い出しただろ、と内心満足してコーヒーカップを口元まで運ぼうとしたときだった。ふと、既読をつけただけの水谷からのメッセージにあった二文字が頭をよぎり思わず手を止めてしまったが、今度は正直に言うのは憚られた。


「なんでもねェよ」
「嘘。今絶対思い出したくないこと思い出したって顔してる」


普通を装うとして口に含んだコーヒーの苦味が増した気がした。また追求するわけでもなくじっと丸い目で見つめられる。オレはいつもコイツのこの技に耐えきれない。こちらが動かないと状況が進まないような空気をつくるのがうまいのだ。初めて会った歓迎会もそうだった。気がつけばいつもコイツの思い通りに動かされてるのではないかとさえ思ってしまう。


「いや、高校の部活の奴に好きって言ったのかって聞かれて」
「・・・言ってないね」
「お前も言ってねーよな?」
「・・・言ってないね」
「・・・・・」
「・・・・・」
「隆也が言ったら私も言う」
「オレが告白したんだからお前から言えよ」
「やだ」
「なんでだよ」
「なんかすごく言わされてる感がある」
「・・・・・」
「あ、今コイツめんどくせーなって思ったでしょ」


また読まれた。そう呟いた心の内をも見透かしたのか、隆也はすぐ顔に出すぎるんだよ、とからかい口調で笑われた。


「好きじゃなかったら一緒にいないでしょ」


最後の一口を飲み干すと同時に聞こえた声。柄にもなく胸がざわついてゆっくりとカップを下げると、目の前のはなぜか勝ち誇った顔をしていて。それが可笑しくて、同時に呆れて身体の力が抜けた。
別にそういう勝負でもねェだろ、とつっこみたかったが先手を打たれた以上オレが何を言っても負け惜しみにしかならないわけで、せめて同等に並ぶためにはやり返すしかないのだが、さっきから喉元までせり上がっては言葉として出てくれず、どうしようもなくなって立ち上がると同時に身体を乗り出してくしゃくしゃと目の前の頭を撫でた。


「ちょっと、何!?」
「オレ、思ってたよりお前のこと好きかもしんねェわ」


言い終わると同時に机上の伝票を持ってレジへ向かう。冷房がガンガンと効いていたにも関わらず頭を撫でた右手が熱い。
後ろからついてくる気配がないが、はどんな反応をしたのだろう。この目に焼き付けなかったことを少し後悔したが、情けないことにオレものように笑う余裕は微塵もなかったのだから仕方がない。
でもまあ、ちょうど支払いを終えた頃にようやくやってきたコイツの顔を見る限り、それなりに効果はあったようで散々振り回された仕返しはようやくできたのではないかと、にやっと満足気に笑ってやった。
そういえば、花井に付き合うきっかけを聞かれて「気づいたら付き合ってた」と適当に答えたままだった。あの場で考えるのが面倒で口にしただけだが、花井は「お前らしいな」と呆れたように笑った。別に悪い意味ではないと思うが、その言葉が妙に記憶に残っている。ユキと付き合うまでの過程を全部整理尽くしたからといって、わざわざ花井に話すつもりは全くないが、もしあのときの問いに答えるとするならば会わせた方が手っ取り早いだろうと、そう思った。



2018.11.11
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