12月も中旬になると肌に突き刺さるような寒さが続く。今日みたいな強風の日は尚更だ。比較的暖かい日になると天気予報では言っていたけれど、日が落ち始めた今の体感温度はもしかしたらマイナスくらいになっているかもしれない。
冬は好きじゃない。寒いというだけで絶望的なくらい憂鬱な気分になる。大袈裟かもしれないけど、この寒さが気力だとか活力だとか、人のエネルギーを根こそぎ奪い去って、何もしていないのにとにかく虚しくなって、無性に物寂しくなって、終いには泣きたくなる。コートのポケットにめいっぱい手を突っ込んだって、マフラーに鼻が隠れるくらい顔をうずめたって、変わらない。この寒さは私を卑屈で根暗な、嫌な人間にさせる。



「――キャッチボールからな!」


張りのある声がビリビリと冷気を震わせて耳に届いて足を止めた。ソフト部やアメフト部が入り混じるグラウンドの一角の、野球部員の中の、一番背の高い彼の姿を見つけた。


花井君だ。


会話らしい会話をしたことはほとんどない。彼について知っていることは、一年生しかいない野球部のキャプテンで、その野球部は初出場で埼玉のベスト16になったことくらい。野球部員が毎日野球漬けの一日を過ごしていることは傍目からでもわかっていた。当たり前だけど、大変なんだろうな。すごく、一生懸命なんだろうな。私とは全然違う。ちゃんとキャプテンとして認められた彼と、偶然選ばれた私とでは比較のしようもないし、同じ土俵に立てるような働きをしようと努力しているわけでもない。それでも、一度花井君のキャプテンとしての苦労とか、責任感とかを慮ってしまえば、どうしたって自分に返ってきてひどくつまらない人間に思えてしまう。

10分休憩ー!という花井君の声で我に返った。どうやら公道のど真ん中で今までずっと寒さも忘れてキャッチボールの様子を見守ってしまっていたらしい。誰かにこんなところ見られていたらちょっと恥ずかしい。ベンチへ向かう花井君の背中を見送って帰ろう。そう思っていたのに、花井君はベンチへ戻らずこちらへ駆け足で寄ってくるじゃないか。びっくりして固まっていると、花井君はグラウンドの片隅に転がっていたボールを拾いにきたらしかった。少しだけほっとする。でもすぐに緊張が走る。ボールを掴み、顔を上げ、ついに、彼は私の姿に気づいた。



「・・・・?」



思わずどきっと胸が跳ねた。



「何してんだ?そんなとこで」
「えっと・・・・・見学?」



なぜか疑問形になってしまったけれど花井君には伝わっていなかったらしい。世間話をするにはちょっと遠いこの距離のおかげだろうか。私の前にはガードレールがあって、その先にはちょっとした草地があって、フェンス越しにようやく花井君がいる。この微妙な距離のせいで会話を続けるべきなのかよく分からないまま立ち尽くしていたら「、あっち」と花井君が指差す方を見ると、ガードレールとガードレールの間に人一人入れそうなスペースがあった。

コートが汚れないようにガードレールをすり抜け、枯れかけた雑草を踏み分けて歩く。とうとう花井君がフェンス越しにまで近づいてしまった。目の前にすると遠目で見ていたより背が高く感じる。花井君は軽く息が上がっていて、しっかり着込んでいる私とは違ってユニフォーム一枚でもちょっと暑そうだ。それでも耳は赤くて、この寒空の下に晒されていた証がしっかりと刻まれていた。



「委員会の帰り?」
「え?あ、うん」



私が完全に足を止めてから花井君は尋ねてきた。まさか言い当てられるとは思っていなくて驚いた。月一回の定例委員会。新年度が始まってすぐ、担任のくじ引きによって不当に選ばれた学級委員のことなんて誰も気に留めてないと思っていた。仕事といえば、書類の配布や回収だとか、集会や行事の準備だとか、今日みたいな定例委員会とか。地味だし面倒だけど、そこまで大変じゃないし、わざわざ一生懸命やるべきものでもないけれど、時々、ちょっとだけ虚しくなる。



「よくわかったね」
の帰りが遅い理由ってそれくらいしか見当たらないだろ?」



私は素直に驚きを表現したのだけど、帰ってきたのは当たり前だろと言わんばかりの言葉だった。



「それは花井君が私が学級委員だって知ってるからだよ。多分、花井君以外忘れてるよ」
「そんなことねェだろ」
「そんなことあるよ」
「そーかぁ?でも、ちゃんとやってんじゃん」



ちゃんと。
花井君の言うその言葉の意味が分からなくて首を傾げた。



「毎日配布物チェックして、なんとか運動とかあればそれやって、仕事ついでに色々任されたりとか・・・」



花井君が白い息を吐くのと同時に長い指が一つ一つ折られていくのを私は目を丸くさせて見つめていた。
地味で面倒で損な役回り。古今東西、委員長っていうのはそういうものだってことは分かっていたけれど、誰にでもできることなのに私がやっている意味はあるんだろうかとかそんなことをずっと思っていた。だから、花井君がこんなにも当たり前のように知っていてくれていたことが、すごく意外で、すごく嬉しい。
あとは・・・とじっと自分の手を見つめて考えていた花井君が急にハッとしたように私を見て「あ、いや、その」と必死に言葉を探し始めるので、私も現実に引き戻された気分になった。それでも、妙に落ち着かなくてちょっとどきどきする。



「なんか苦労してる人間は目についちまうっつーか・・・。いや、こんな言い方よくねェよな、悪い」
「や、でもキャプテンの花井君と比べたら私の仕事なんて大したことじゃ・・・」



お互いぎこちない言葉を交わしたら雰囲気までぎこちなくなってしまった。
花井君の言葉は嬉しかった。でも、もしかしたら花井君はキャプテンとしての自分と私を同じ立場の人間として見ているんじゃないだろうか。だとしたらとんだ買い被りだ。私は花井君のように誰の目から見ても一生懸命で、頑張ってると思われるような姿を見せていないし、その情熱もない。
一言否定的な発言をしてしまえば、いつもの自己嫌悪が僅かに入り混じりそうになる。――その瞬間、息を吸い込む音がした。



「誰か一人でものこと頑張ってるって思ってたら、とりあえずそれは頑張ってるってことでいいんじゃねェの?」



私がどれだけ自己否定したって、花井君はまた当たり前のように私を認めてくれる。その一人は間違いなく花井君だということに気づいていないんだろうか。花井君が私を見てくれていただけでも驚きなのに、私より頑張ってる人からそういうことを言われたら意思と反して心は浮かれてしまう。
じゃあ、花井君は?一人どころか、花井君を知ってる人皆から花井君のことを頑張ってる思われているだろう彼は、浮かれたりするんだろうか。
そんなことを考えていたら「まあ、そりゃ、自分で反省とか別ですんだろうけど」とちょっと濁しながら付け足された。花井君自身のことを言っているのかもしれないとなんとなく思った。



「花井君は、すごいね」
「は?何が」
「さすがキャプテンって感じ」
「いや、だから何が」



花井君が怪訝そうな少し苛立っているような顔をする。意外と短気なんだろうか。今日の嬉しかったことが一つ増えた。
風の強さも、この寒さも変わらない。でもなぜか落ち着かなくて、しっかりと髪の毛で隠していた耳を冷気に晒す。ひんやり耳が冷えていくのが気持ちがよかった。

花井ー!休憩終わるぞー!という大きな声に二人同時にびくっと身体を震わす。花井君が振り向きざまに返事をして、また、私に向き直る。



「わり、俺行くわ」
「あ、うん。・・・ありがとう、花井君」
「・・・んな礼言われるようなことしてねーけど」



帽子をかぶり直す仕草をすると花井君は「じゃな」と駆け足で練習へと戻って行った。どんどん小さくなっていく大きな背に手を振って、また、コートに両手をしっかりと突っ込んで向かい風の中歩き出す。西の空はかろうじて弱い光が沈みかけていくのが見えるくらいだった。凍えるような冬の夜がもうすぐやってくる。いつも空が夜の準備に入りだすのと比例して気分も沈んでいくけれど、今日はそんなことはなかった。

花井君の耳はまだ赤いままだった。私の耳も多分、赤くなっているだろう。だって、まだこんなにも熱い。この寒い中ずっと風に晒されていた花井君の耳が赤い理由が、私と同じだったらいいのにと願ってしまうのは、さすがに欲張りすぎだろうか。




2017.12.30
お題:強風の日/耳/髪を耳にかける
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