「何さっさと帰ろうとしてんだよ」


二時間の飲み放題が終わり、ぞろぞろと店を後にする。幹事が二次会に参加する人数を数えているのを後目に、消えるようにさっさと帰ってしまおうとしたときだった。ぶっきらぼうな言葉が私の足を引き止めた。本人はそんなつもりないんだろうけど、ちょっとした一言でも圧を感じる物言いは変わらない。
振り向けば、本日の主役と言っても過言ではない男が黒のダウンジャケットのポケットに手を入れたまま不貞腐れたような顔をして立っていた。



「ずっとオレに背を向けて飲みやがって。久しぶりくれーねーのかよ」
「別にわざわざ話すような思い出もないでしょ」
「それもそうだな」



卒業以来の同窓会の便りに、あの頃の思い出が呼び起こされ、何も変わらない私たちのまま再会する夢を見てしまったのは事実だ。しかし、会場に着いてみれば、よっぽど野球に疎い人でなければ知らないであろうプロ野球選手となった榛名の口から出てくるのは、彼が経験した試合についてや、どこの女子アナが可愛いだとか、某有名人とご飯に行った、などという私たち一般人には一生縁がないであろう体験談ばかり。周りは羨ましいなどと口にしたり、矢継ぎ早に質問したりと華々しい世界への関心は尽きないようだったが、私はそんな榛名を見て、榛名との接し方を忘れてしまった。

榛名は馬鹿みたいに野球一筋で、プロになることしか考えていなかった。見ているものが違っていたのは、あの頃から分かっていた。それでも、悪態づいたり、課題を見せてやったり、時々笑ったりという日々は確かにあった。でも、それだけだ。榛名にとっては通過点に過ぎない高校という三年間の中のそれまた一欠片の出来事。高校卒業後、華々しくデビューしその後も活躍を続ける榛名にとって、ずっと夢に見ていた世界までの中継地点にしかならなかった存在が、何を話せばいいのだろう。

そう思い、思い切って突き放すように言ってみると、榛名は文句を言いにきたわりにはあっさりと認めた。言ってしまえばそうなのだ。事あるごとに喧嘩して、いがみ合って、中身のないような適当な会話をして、機嫌がよければ冗談も交わしたり。特にこれといった何かが私と榛名の間にあるわけじゃない。それなのに、どうして、榛名を前にしてこんなにも胸がざわつくんだろう。



「二次会行かねーの?」
「うん」
「じゃあオレも帰ろ」
「皆あんた待ちなんじゃないの?」
「んー、まあいいや」



少し考えるような素振りを見せたが、特に興味なさそうな返事が返ってきて困惑する。そんなこと言ったって、周りが帰そうとはしないだろうに。それに、榛名が言ったのは私が帰るなら自分も帰るという意味じゃないか?都合よく解釈しすぎだろうか。それとも、私が酔い過ぎなだけ?榛名はピンピンしてるけど酒は飲んだんだろうか。盗み見した程度では分からなかった。トレーニングだとか身体には色々気を遣っていた奴だったから、潰れるほど飲みそうには思えないけど。



「行こーぜ」



歩き出した榛名に目ざとく気づいた同級生が榛名を呼ぶ声がする。ホラ、お呼びだよと視線で訴えるが、榛名は片腕を挙げて応えるだけ。本当に帰るつもりらしい。さっさと歩いていってしまう榛名と、榛名を呼ぶ同級生に挟まれて、私はどう行動すべきか迷っていると「早くこいよ」と榛名が私を振り返った。真っ直ぐに私を見つめる。つり目のせいか、榛名の眼光には迫力がある。私がここでいくら自制心を保とうとしても、決して許そうとしない有無を言わさぬその眼差し。私は昔からこの瞳に弱かった。息が白く舞い上がるのと同時に、足が勝手に動き出す。半歩後ろまで来たところで榛名は歩き出した。
どこへ行くつもりなんだろうか。榛名につられるように歩き出してしまったけど、私は真っ直ぐ帰宅するつもりだったのを思い出す。私を呼びつけた榛名の意図が分からない以上、このままでいいやとだんまりを決め込んだときだった。



「・・・・なあ、オレらいつも何話してたっけ」
「はあ?」
「つーかなんかこうやって二人きりで歩いてるとかなんかヤな感じがする」
「榛名が行くぞって言ったんでしょ!?」



やけに神妙な面持ちで口を開くものだから、何を言い出すかと思えば。呆れてつい声を荒げてしまう。顔を上げると、ばちっと目が合う音がした。あ、なんだろうこの感覚。無理矢理しまいこんでしまおうとしていたものが、胸の奥から湧き上がってくる。気づけば、二人で声に出して笑っていた。そうだ、そうだったよ。敢えて私たちの関係性に名前をつけるとすれば、ちょっとよく話すくらいの間柄。腐れ縁とでも言うべきだろうか。それ以上でも、それ以下でもない。



「なんでか知んねーけど、野球部以外で高校のこと思い出そうとするとが出てくんだよ。だからが帰るならオレも帰ろうって思ったんだけど、そういや、二人で歩いたことねェなって」



野球部以外で、と言うところが榛名らしい。その一言がなければ榛名相手でもどきっときたかもしれないのにと思うけど、それは私が知っている榛名元希という人間ではないだろう。



「そりゃ、榛名部活ばっかだったし」
「そうだけど、そーゆーんじゃねェんだよなー」



散々失礼なことを言っておいてまだ腑に落ちないらしい。何が違うんだろう。榛名だって、私のことを女子の中では親しい程度くらいにしか思ってないだろうに。野球の次でも、榛名の高校三年間の中に一瞬でも私が思い浮かべば、それだけで嬉しかった。
榛名はうーんとしばらく唸っていたが、突然あ、と何か閃いたように私を見た。心なしかちょっと楽しそうな顔をしている。


「今度試合見に来いよ」
「・・・・なんで」
「なんでじゃねェよ。誘ってんだから来い」


榛名の試合はテレビでしか見たことがなかった。一体何を考えているのだろうと突然の言葉に戸惑うと、榛名は途端に顔を顰めながら足を止め、ズボンのポケットに手を入れる。ん、と私の前に差し出したのは携帯だった。



「早く出せよ。アドレス交換しなきゃオレが先発の日連絡できねーだろーが」



私たち、アドレスも交換してなかったんだ。今更ながら発覚した事実に思わず笑ってしまう。わかったよ、と渋々ながらを装い鞄から携帯を取り出す。お互い携帯を突き合わせて作業していると「オレたち、こんな当たり前みたいなこともやってなかったんだな」と榛名は同じ感想を口にした。



「そーだよ。そんなもんだったんだって、私たち」
「でもこれでちったぁ変わるだろ?」



また、あの瞳で見つめられる。ああそうだ。あんたって、そういう奴だった。向こう見ずで、人の気も知ろうとしないで勝手に決めつけて、巻き込んで。俺様っぷりは健在だ。単純で分かりやすいようで、榛名の唐突な発言にはいつも振り回される。でもどうしようもなく胸が締めつけられて、悔しくて。関わりたくないのに、これ以上榛名で頭をいっぱいにしたくないのに、嫌でも人の目と心を奪っていく存在感。ほんとに、最低。あの頃と何も変わっていない。



「・・・・どうせ女子アナのアドレスに埋もれるのわかってるんだから」
「なっ・・・・んな入ってねーよ!!」
「じゃあどれくらい?」
「だから・・・・」
「冗談だよ」



思った以上の反応を見せた榛名に笑いが止まらない。榛名は焦って動揺しながらも何か必死に反論の言葉を探していたようだったが、最終的に苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちをし「無視しやがったら許さねーかんな」と吐き捨てて歩き出してしまった。



「ちゃんと行くから。教えてね」



そんなもんだったと言いながら、あの他愛もない日々が好きだった。あの日々とはまた違う何かが動き出そうとしていることに私は胸の鼓動を抑えることができず、高校時代より更にたくましくなった背中を追いかけた。



2017.12.31
inserted by FC2 system