※vs司帝国前くらいの話

 どういう意味と尋ねようとした言葉は話題のご本人様登場で口にすることは叶わなかった。作業が終わったらラボに来るよう告げて早々に立ち去った千空との最小限のやり取りを何食わぬ顔で傍観していたゲンに戸惑いの視線を送ると、だから言ったでしょ、と言わんばかりに肩をすくめて見せた。

 何週間か前から千空に呼ばれてラボで手伝いをすることが続いている。千空は一人か、そうでなければ大体クロムやカセキのおじいちゃんと作業しているため私と千空が一緒に作業をすることはほとんどない。たまたま人手が欲しくて呼ばれただけかと思っていたのだが、こうも私だけが頻繁に呼び出されていては周囲の目に付くのは当然のことだった。「おう、今日も千空のとこ行くんだな!」とクロムに大声で言われるのは正直困るが、まあみんなそう思うよねと流すこともできる。しかし、そうはいかなかったのが「千空ちゃんは随分とちゃんが気に入ってるみたいね」と揶揄うようにゲンに言われたこの台詞。千空が立ち去った後、その言葉の意味を今度こそ尋ねようとしたら「ホラ、早く千空ちゃんのところに行かないと」とあしらわれてしまった。


「千空、入るよ」
「おー、来やがったか」


 それまで使用していたであろう器具や鉱物、液体が入ったビーカーで溢れかえった机の前にいた千空に近寄る。頼まれたのはそれらを棚に戻して机の整理をすることだった。時々千空の作業補助をすることもあるが、頼まれるのは大抵誰でもできるようなものばかりだ。器具の置き場やアイテムの扱いに多少気を配る必要はあるが、千空が説明してくれるので特段難しいことは何もない。むしろ説明の手間を考えると千空がやった方が早いのではないかと思うレベルで、よっぽど忙しいのだろうかと机の空いているスペースで真剣に設計図を睨む千空をちらっと見るが焦燥や憔悴は感じられない。

 それに、誰でもできる作業に呼ばれるのがどうしていつも私なのだろうという疑問が未だ拭えない。誰でもいいからこそ、私にでもやらせておけばいいだろう、ということだろうか。私は千空の口の悪さも性格が時々ゲスいところも全て知ったうえで彼のことを信頼しているつもりだが、彼が私のことをどう位置付けているのかはわからない。工作要員でも戦闘要員でもなく、ゲンのように特別なスキルがあるわけでもないその他大勢に分類される私をただのマンパワーとしか思っていなかったらそういう可能性もあるだろう。
 それじゃあ、ゲンが言ったお気に入りとはなんだろう。クロムのようにラボに頻繁に顔を出すことを指摘されることはあっても、あのように言われたのは初めてだった。仮に本当に千空が私のことを気に入っていたとして、千空のことだから合理的な理由があるはずなのに思い当たらない。たまたま最初に頼んだのが私で、次回から別の人間に頼むより一から説明するのを省けるからだろうか。
 そもそも、本当にたまたまだったのだろうか。初めて千空にラボに来るように声を掛けられたあの日はクロムに呼ばれて作業の補助をしていたときで、手が空いている人間は私以外にもいたはずだ。それに、思い返してみれば誰かと一緒にいるときに千空に声を掛けられていた気がする。コハクちゃんとの特訓で疲労困憊の金狼と銀狼を労っていたとき、今日はゲンといたとき。そこまで記憶を呼び起こして、ふと、一つの非合理的な可能性が思い浮かんで思わず手を滑らす。手に取ろうとしたビーカーを倒してしまった。音に反応して千空が設計図から即座に顔を上げる。


「オイ、大丈夫か」
「ご、ごめん。なんでもない」
「割れてねえか?怪我は?」
「大丈夫。中身入ってなかったし」
「何珍しくぼーっとしてやがる」


 千空の言葉にギクリとする。私を咎めるものではないことは声で分かる。でも、いつもと同じ作業をしている私の様子がいつも通りではないことに勘づかれてしまったのだろう。赤い目が真っ直ぐこちらを見据えてくるので気後れしてしまう。
 動揺が身体に現れてしまったが、冷静になって考えると千空に限ってそれはない。他でもない千空自身が一番非合理的だと明言していたからだ。でも多分、ゲンはそう思っていて、他にも言い出す人が出てくるかもしれない。いっそのことこの場で本人に否定してもらえば、私も対処がしやすいと思って聞いてみることにした。


「千空って、私のこと好きだったりする?」
「あー・・・」


 私をじっと見つめていた千空が一瞬虚をつかれた表情をして、言葉にならない声が漏れた。「100億%ありえねえよ」という言葉以外出てくるはずがないと私は呑気に構えていた。


「最終的に結論付けるなら100億%そうなんだろうが、まだ仮定の話だ」
「ん?」
「検証中だからちっと待ってろ」
「ちょっと待って、えっと、どういうこと?」


 返ってきたのは、千空風に言うならば1oも予想していなかったものだった。好きなのかという私の問いに勘違いでなければイエスを意味する返事をしている。あの千空が。それだけでも信じ難いことなのに、普通ならこの流れで使わない言葉が当たり前のように出てくるせいで頭が全くついていかない。


「その1、姿を見ると心拍数が約1.2倍に増える。その2、かと思えば近くにいると居心地よく感じる。その3、他の奴らと話しているのを見ると引き離したくなってテキトーな理由つけてラボに呼びつける。、これは全部テメーに対して起きる反応だ」
「それって」
「脳のバグとはいえ化学反応だからな。お望みなら説明してやるが、こんだけ聞きゃなんなのかわかんだろ」


 わざわざ難しくしなくてもわかる。千空は淡々と言葉にしているが、自身に起きたお手本のような恋愛反応を受け入れているのだろうか。千空が私のことを好きかもしれないということよりもそちらの方が衝撃的だった。


「で、でも千空。あれほど恋愛脳は非合理的だって」
「まあな。だが悪いもんでもねえことはわかった。実際テメーがいると俺の作業効率がよくなるしな。それに、起きちまったもんはしゃーねえだろ。だからホンモノなのか検証してんだよ」


 未だに動揺してしどろもどろになってしまう私とは対照的に千空はいつもと変わらないように見える。さすが千空と言うべきか、あくまでも化学反応として受け入れているらしい。恋愛に振り回される千空は正直想像がつかなかったので、普段通りであることに少し安堵する。ようやく頭の整理がついてきたのはいいが、何と返せばいいのか分からず、そうなんだ、とぽつりと溢す。それまでずっと飄々としていた千空の眉根に皺が寄った。


「で、。なんか言うことねーのかよ」


 突然低くなった声に戸惑う。怒っているようにも、拗ねているようにも聞こえるがなぜ急に千空の雰囲気が一変したのかわからない。そう言われても、この話をこれ以上どう広げていいのか、どこに着地すればいいのか見失ってしまった。黙っている私に痺れを切らしたのか「テメーが聞いたんだろーが」と千空はさっきよりも不機嫌を露わにした。


「あっ」
「ようやく思い出したかよ」


 千空があからさまにため息をつく。そうだった。千空が私のことを好きかもしれないという話だった。当初の想定では、そんなことはあるはずがないと思っていたので今後私と千空の仲を勘繰る人がいたら堂々と訂正すればいいはずだった。しかし、その手は使えないどころか、検証すると千空は言った。ホンモノかどうか確かめると。確かめて、そのあとは?


「それで、千空の結果が出たとして、どうするつもり?」
「そんなもん、テメー次第だろ」


 恐る恐る聞いてみると、先程の険悪な表情が嘘だったかのように喉の奥を鳴らしてニヤリと笑った。まるで、これから作る科学アイテムの説明をするときみたいに楽しそうだ。私を揶揄うような不敵な笑みとその台詞にどくん、と心臓が跳ねた。
 それはさあ、ずるいよ、千空。そんなこと言われたら、私だって検証せざるを得なくなるじゃないか。君曰く、脳のバグで、いわゆる恋の化学反応とやらを。だってほら、今にも君に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど心臓の音がうるさい。


2023.12.30
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