※不憫フラグしか立っていなかったてんなさんの米屋を強制的に幸せにさせた話※
※色付き部分がてんなさんが書いていた文※


わたしの中にあるソレはまだ不完全で、未熟で、中途半端で。言うなればまるで、茹で加減を間違えたどろどろのゆでたまごみたいだった。正直、処理に困って仕方がないのだ。このままごみ箱に突っ込むのも躊躇われるくらい、粘着質で有害で。ひと思いに食べてしまうにはまだ恐ろしくて。こんなふうに思い切りが悪いものだから、それはまだわたしの手のひらのうえにただ乗っかっているだけなのだ。わたしは眉根を寄せながら黙ってそれを見ている。そんな感覚がしばらく続いている。


、一緒に帰ろーぜ」


今日は任務ねーんだ。鞄を持って教室にひょっこり顔を覗かせた米屋は、今日も当たり前のようにわたしを誘う。
その度に、ほんの一瞬だけ、返事に戸惑う。この誘いも彼からの私への好意の一つだ。彼の好意を拒否する理由はない。けれど、受け入れる理由も見つけられていない。こんな小さな好意でさえ躊躇ってしまうくらいに。
そんな逡巡のあと、結局、うん、としか答えることしかできない。きっと米屋はこの返答の意味も分かっている。それでも、このひどく曖昧な返事にいつも笑ってくれる。


「最近一気に寒くなったよなー」


好きだと言ってくれたのもこうやって話題を振ってくれるのも米屋の方だった。随分似合わない台詞で告白を受けたとき、どっちつかずのわたしはただ困惑して笑うことしかできなかったし、相変わらず今もそれしかできていない。米屋はそれでいい、と言ってくれる。「ゆっくり考えたらいーよ」という言葉を何度も聞いてきた。だけど、このままずるずるといくのにはさすがに抵抗があった。米屋のことが嫌いなわけじゃない。だからこそ、名前の通りの晴れやかな笑顔を見るたびに申し訳ないという気持ちばかりが募っていく。わたしは少し焦っていた。決め手がないのだ。彼のことを好きか、好きじゃないか真っ二つに分ける決め手が。
毎年秋は一瞬で過ぎ去る気がする。日に日に寒さが増す毎にわたしの焦りに拍車を掛けていた。

他愛もない話をして歩きながら、どうして米屋はわたしを選んでくれたのだろうとぼんやり考える。米屋とは良い友人関係を築いていたと思っていた。だから告白されて困惑しているのもあるけれど、返答について考えれば考えるほどこの問いにいきつく。学校でもわたし以外の女の子と話す姿だってよく見るし、ボーダーにも仲の良い子はいるだろう。その中からわたしが選ばれるだけの理由があるとは思えなかった。
そんなわたしが、米屋の側にいていいのだろうか。わたしと米屋じゃ、何もかも違いすぎるのに。育った環境や、境遇とか、人と人が違うのは当たり前なことなのに。

答えの見つからない自問に嫌気が差し、視線を流すと5、6歳くらいの男の子公園でボール遊びをしていたのが映った。
あのくらいの年頃だったら、こんなに難しいことを考えずに済んだだろうか。自分があの年頃だったときへ想いを馳せる。わたしは、何を考えていただろう。米屋は、どんな子どもだったんだろう。

男の子はさっきからずっと一人でボール蹴りをしている。蹴って、ボールを追いかけて、また蹴って。胸騒ぎがした。ボールが転がっていくその先は道路だ。思わず足を止めた。道路へ飛び出すかと思われたボールは途中で止まり、男の子は何事もなかったかのように反対方向に向かってボールを蹴り始めた。
ほっと胸を撫で下ろす。取り越し苦労だったかもしれない。でも、ここは車の交通量は少なくないし、少し心配だ。


、この後暇?」


米屋の一言で我に返る。すっかり男の子に気を取られていていつのまにか米屋の話に相槌を打つのを忘れていた。悪いことをしてしまった、と焦りが募るが、米屋は不満など特に表さそうともせずわたしの返事を待っていた。


「特に、予定はないけど」
「じゃあ行こーぜ」
「え?」


+ + +


なんだか不思議なことになった。米屋と男の子がサッカーボールを蹴り初めて15分程経とうとしている。近づいてきた米屋を少し緊張した面持ちで見上げた男の子と目線が同じになるように屈み、一言二言会話しただけで打ち解けてしまった米屋をさすがと言うべきなのだろうか。男の子もパスする相手ができたからなのか、一人で蹴っていたよりも楽しそうだ。


ー、ボールくれー」


ベンチに座って二人を眺めていた私の数メートル手前にボールが転がってきた。米屋が取りにくるだろうと思ってぼうっとしてたので、わたしに向かって叫んでいるのだと気づくのに少しだけ時間がかかった。蹴ればいいのだろうか。戸惑いながらもボールの前までいって、ゆっくりと足を振り上げる。ボテボテと不恰好ながらもローファーで蹴ったわりにはちゃんと真っ直ぐ米屋の元に届いた。


「おっ、ナイスー」


わたしが蹴ったボールを足で止めて、米屋が笑った。

それからすぐに男の子は母親に手を引かれて帰っていった。母親の買い物が終わるまで一人で遊んでいたらしく、頭を下げる母親と、大きく手を振って別れを告げてくれる男の子を見送った後、ぽつりと米屋が呟いた。


「悪いな、付き合わせちまって」
「ううん。米屋こそわたしがあの子のこと気になってたのを見てこうしてくれたんでしょ」


米屋は人の感情だとか、その場の空気にすごく敏感だ。きっとわたしがあの子を心配そうに見ていたことに察してくれたんだろうと思う。
こういうことが自然にできてしまう米屋をすごいなと感心しつつ、またわたしとの違いをはっきりと突きつけられた気分になる。
勝手に沈みそうになる気持ちを無理やり奮い立たせようとして、わざと明るい声を出した。


「米屋はいいお父さんになりそうだね」
「そーか?」
「うん、すごく自然に想像できたよ」


子どもが男の子だったら、さっきみたいにボール遊びをして。女の子でも、ままごとでもお人形遊びでも器用にこなしてしまうだろう。その隣には、米屋にお似合いの女の人がいて。


「米屋と一緒になる人は幸せだろうね」


呟く。本心だった。勝手に思い描いた米屋の将来図に一人で納得し、 平凡で、でもかけがえのない幸せの景色に感嘆の声を漏らしたつもりだった。米屋の目が僅かに見開かれる。
私の言葉の真意を探るような熱っぽい視線に、ドキンと心臓が跳ねた。


「あの、今のはただ単にそう思っただけで」
「ビビった。プロポーズのフリかと思ったわ」
「違うから!」
「ハイハイ」


米屋の軽口を慌てて否定するとおどけたように笑ってくれたので心底ホッとした。
これ以上この場にいると、意図していない雰囲気に流されてしまいそうで、おかしくなってしまう。もう帰ろうと明るく促すつもりで口を開こうとしたが、米屋の方が一足先だった。


「でもさ、そういう台詞が出たってことは期待してもいいよな?」


いつもの晴れやかな笑顔とは違う、明らかな緊張を滲ませた表情で、米屋はぎこちない笑みを浮かべた。
ああ、だから早く帰りたかったのに。そんなことを言われたら、わたしはあの台詞を口にした自分の心の内と向き合わなければならなくなる。今までずっと、米屋の隣にいる自分を想像できなかった。でもあの瞬間、米屋の隣にいる誰かを想像したとき、羨ましいと思った。眩しく思った。そしてそれ以上に、焦がれた。分かっていた。あの台詞を吐いた自分の声が、全部滲ませていたから。気のせいだと思ったけど、米屋のあの目を見て本当は確信していた。たった一瞬でも心がその隣を願ってしまったことに頭では理解ができていなくてこんなにも戸惑っているのに、それを待ってくれるほど米屋は優しくはないみたいだ。いや、もう十分待たせてしまっていたのはわたしの方だ。今更何言ってたんだと言われそうだけど、さすがにこれ以上は酷だろう。今、この瞬間が、わたしの番だ。


「米屋、わたしね」


あとはもう胸に溢れる気持ちを吐き出してしまえばいい。身体が熱い。鼓動が早くなる。口の中がひりつく。米屋もこんな気持ちだったんだろうかと思うと、自然と落ち着いた。今まで持て余していたものを掴み取るようにぎゅっと両手を握りしめる。大丈夫、もう迷う必要もない。
米屋の背に広がる焼けるように赤い夕日が眩しい。でも、この人と一緒なら歩いていけると思った。



2018.9.23
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